ブログを放置している間、リュウんちからは2つの命がお空に旅立っていきました。
1つ目はいつも一緒にいた文鳥のピーちゃん(黒い方)です。
9月7日に、何の前触れもなく逝ってしまいました。
その日は鳥かごの掃除の日で、出して水浴びさせていました。
出たときは元気だったのに、水浴びが終わって高いところに飛んで行ったときです。
止まっていた額縁から姿が見えなくなったと思ったら、裏側に落ちていました。
もうその時には様子がおかしくて、「病院連れて行こう!」なんてやっているうちに、
あっという間に逝ってしまいました。本当にあっという間だった。何もしてあげられなかった。
今ピーちゃんは、荼毘に付してうちで眠っています。キューちゃん(白い方)が逝くまでは、
うちで眠らせてあげるつもりです。うちに来る前から一緒だったんだもんね。
2つ目は、リュウと超そっくりだったおじいちゃん(パパのお父さん)。
一緒に住んでいたわけではないけど、1年3か月、足の悪くなったおじいちゃんの
世話をしにいっていました。
それまで超元気だった元プロボクサーのおじいちゃんは老人ホームではなく、
ケアハウスに住んでいました。
入所した頃は動きが速すぎて、他の爺様婆様達から、【風の又三郎】と呼ばれていたそうです。
70過ぎで、階段を1段抜かししながら上っていました。
でも一昨年の9月頃から足の調子が悪くなってしまいました。
ケアハウスは自分の事ができなくなると、出されてしまうのです。
少しでも施設に負担を掛けないために行っていました。電車で2時間近くかけて。
出されてしまっても、誰も一緒に住んであげることができないからです。
最初は3週間に1度くらい。それが2週に1度。
週に1日、2日、3日と増えて行きました。
入院してからは透析以外の日は必ず行っていました。
最後は毎日。不味いからと渋ってご飯食べてくれないので、朝4時半に起きて
7時半の朝食に間に合うように、みんなで交代で病院に通っていました。
おじいちゃんは糖尿病の末期でした。【壊死】が始まっていたのです。
最初は魚の目から。面倒くさがりの爺様は、ちょこっと薬塗って放置してしまいました。
そこから徐々に侵食されていくわけです。
昨年の9月中旬の時点で、進行はしていたものの「切断なんて3~4年は先ですよ!」
と医者に言われていました。それを聞いた爺様は調子こいて好きなものを好きなだけ
食べてしまったのです。そこから一気に侵食のスピードが上がりました。
3~4年先ですよ、と言われて2ヶ月で入院・切断まで迫られたけど、
片方切ると遅かれ早かれ残ったほうも必ず切断しなければならなくなるし、
切ったら病院からは出られなくなってしまう。
本人は泣きながら帰りたがっていた。話し合って、切断しないことに決めました。
切断しないとなれば、入院してても何もできないのですぐに退院になりました。1月19日。
「今まで以上に摂生しなければ、2~3週間、もって1ヶ月だと思います」先生に言われた。
「頑張る!」と言っていた爺様は、そんなことは忘れてしまって、入院生活からの反動で
今まで以上に摂生しませんでした。
壊死した右足は物凄いスピードで膝下まで侵食していき、きっつーい腐敗臭とともに、
いつ取れてもおかしくないくらいグラグラになっていました。
そんな爺様は、2~3週間では逝かず、8ヵ月後の9月17日まで頑張って生きていました。
本当に最後まで丈夫過ぎて、生命力溢れるおじいちゃんだった。
昨年まで、数えるくらいしかおじいちゃんに会ったことなかったから、
この1年3か月で、おじいちゃん孝行できたかな(^∀^*)